現代の経済モデル ~破滅へむかう現代社会モデル

 

1-1資本主義と市場経済
歴史的な流れ原理的な段階人類の経済活動は、原始的な採集経済に始まり、やがて遊牧や農耕経済を経て、農工商業を発達させた。。現在の私達が生活している資本主義は、封建社会の崩壊過程で準備され、18世紀後半のイギリスの産業革命を通じて初めて確立した。16世紀以後の絶対主義国家では、国内産業を保護し、輸出の振興に努める重商主義政策がとられた。イギリスでは、15世紀末から、地主層による土地の囲い込み運動(エンクロージャー)が行われ、農民の多くは土地を追われて賃金労働者となり、一部はマニュファクチュア(工場制手工業)を経営する資本家となった。資本主義経済の成立には、この余剰労働力と資本の蓄積が必要であった。産業革命後、マニュファクチュアは機械制工業(工場制機械工業)に代わり、生産過程を直接担う産業資本が成立した。資本主義書記の経済的自由主義(自由放任主義 レッセフェール)は、資本主義経済の原理となった。

1-2独占資本主義の台頭

産業資本は、革新的な技術の発明・発見によって大量生産を実現し、急速に資本蓄積を進めて、19世紀半ばには生産力が飛躍的に発展した。しかし、19世紀末には競争に勝った少数の大企業が巨大化し、産業を支配するようになった。資本主義は常に利潤の拡大を求める経済体制であるため、国外にも新しい市場を求め、植民地の拡大をはかった。また、国内では貧富の差や労働争議、あるいは「労働者と資本家の対立」が社会問題となった。このような資本主義の歪みは、マルクスらによって批判され、19世紀末以降の発展段階は、後に独占資本主義とも呼ばれた。

 

1-3混合経済
資本主義の変質1920年代のアメリカは、未曾有の好景気を記録したが、1929年の株式暴落(ブラックサーズデー)で始まった大恐慌(世界恐慌)と、これに続く30年代の大不況によって、失業者は増大し、生産は停滞した。それまでの理想とされた安価な政府、自由放任主義では、この不況を解決する事が出来なかった。そこでルーズベルト大統領はニューディール政策を実施し、積極的な政府の介入によって有効需要を作り出し、不況の克服を試みた。ケインズが説いた、政府の有効需要創出で経済の安定をはかる積極的な政策(大きな政府)が各国に広がったのは、第二次世界大戦後の事である。こうした現代の資本主義は、政府による介入を伴った自由主義経済(修正資本主義経済)であり、公的経済と私的経済とが並存するため、混合経済とも呼ばれている。

1-4 ケインズ主義と平等な市場

現代資本主義の特徴石油危機とスタグフレーションが深刻化した1970年代後半に入ると、ケインズ的な経済政策に対する疑問も生ずるようになってきた。手厚い福祉のお陰で、働かなくても一定の生活水準が維持できるようになった反面、それらを支えるために、税負担が上昇して、労働、貯蓄・投資意欲を阻害するとの弊害が強調された。こうした考え方は、理論的には、不安定なインフレを回避するためマネーサプライを安定的に供給することを重視するマネタリズムや、労働供給や貯蓄・資本蓄積意欲が経済成長の源泉であるという立場から供給面での経済活力を引き出す政策を重視するサプライサイド経済学として、経済政策にも大きな影響を与えた。1970年代の後半から、政府の守備範囲を限定して市場の本来のメカニズムを重視する自由化が支配的な動きとなった。イギリスでのサッチャー政権、アメリカでのレーガン政権、日本での中曽根政権の民間活力を重視する政策は、こうした価値判断にたっていた。1990年代に入ると、市場メカニズムへの過度な期待は小さくなり、政府と市場との適切な役割分担が重要な課題になっている。その背景には、社会的弱者にも配慮して、市場に参加する機会をより平等にすることが、より公平であり、更に社会全体の活性化にもつながるという考え方がある。

その後、2000年代にリーマンショックを迎え、マネー至上主義と市場経済がもたらす功罪は、その後も高効率低人経費の追及によって、長期雇用は失われ超格差社会を産んでいる。

先進国では、不安定な株式市場とデフレ化、グローバリズムが進行し、ゼロ金利政策にはじまる無限供給のマネーサプライの実践が行われ、ネット社会に移行する中、小国より巨大な資本力を持つ勝ち組の巨大企業中心の無政府状態に陥っている。